2019年8月13日にスペイン2部のレアル・サラゴサの入団会見をおこなった香川真司は「スペインでプレーしたいという昔からの夢」を実現させた。
セレッソ大阪でプロのキャリアをスタートさせた香川真司は、当時16歳の高校2年生で仮契約を交わし、2006年にセレッソ大阪に加入した。
その後はJリーグでの活躍が認められ、2010年にドルトムント。2012年には誰もが知っているビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドに日本人として初めて加入した。
しかし、監督の交代などで徐々に出場機会を失った香川真司は、2014年に再びドルトムントに戻りプレー。2019年にはドルトムントからのレンタル移籍でトルコのベシクタシュに加入する。
現在は1部昇格を目指すレアル・サラゴサに完全移籍し、デビューから2試合目でゴールを決めるなど活躍に期待がかかっている。
目次
セレッソ大阪時代の年俸と成績
2006年にセレッソ大阪でプロ契約を果たした香川真司だったが、初年度は出場機会がなくトップチームでの活躍はなかった。
翌年の2007年にレヴィー・クルピが監督に就任するとスタメンを確保し、リーグ戦35試合で5ゴールを奪う。
2008年はセレッソ大阪の主力としてリーグ戦35試合に出場して16ゴールを記録した。
森島寛晃から背番号「8」を受け継いだ2009年シーズンは、リーグ戦で27ゴールを奪いJ2得点王に輝いています。
セレッソ大阪:香川真司の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2007年 | 18歳 | セレッソ大阪 | 360万円 |
2008年 | 19歳 | セレッソ大阪 | 800万円 |
2009年 | 20歳 | セレッソ大阪 | 2,800万円 |
セレッソ大阪:香川真司の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2007年 | セレッソ大阪 | 35 | 5 |
2008年 | セレッソ大阪 | 35 | 16 |
2009年 | セレッソ大阪 | 44 | 27 |
2010年 | セレッソ大阪 | 11 | 7 |
ドルトムンド時代の年俸と成績
2010年にJ1昇格を果たしたセレッソ大阪で開幕戦から主力として活躍し、リーグ戦11試合で7ゴールを記録すると、シーズン中に育成補償金約4,000万円でドイツのボルシア・ドルトムントに完全移籍を果たす。
ブンデスリーガの2010-11シーズンでは前半戦で17試合8ゴールを記録。MFとして登録されている選手の中ではリーグ1位のゴール数で、キッカー紙の最優秀選手に選出されるなど、一気に知名度を上げたが、アジアカップの骨折によりシーズン後半戦は復帰戦となったフランクフルト戦のみの出場となった。
2011-12シーズンは開幕戦からチームの主力メンバーとして活躍し、リーグ戦31試合13ゴールを奪い、ドルトムントの2連覇達成に貢献。さらにバイエルンとのポカール決勝で1ゴール1アシストを記録。マンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督が観戦に訪れた試合でタイトル獲得に貢献した。
ドルトムント:香川真司の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2010年 | 21歳 | ドルトムント | 1億4,000万円 |
2011年 | 22歳 | ドルトムント | 6億円 |
2012年 | 23歳 | ドルトムント | 6億円 |
ドルトムント:香川真司の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2010-11 | ドルトムント | 18 | 8 |
2011-12 | ドルトムント | 31 | 13 |
マンチェスター・ユナイテッド時代の年俸と成績
2012年6月5日にプレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドとドルトムントが完全移籍で合意。6月22日にメディカルチェックをパスして、正式契約を結んだ。
プレミアリーグではアジア人選手で初となるハットトリックを達成するなど、マンチェスター・ユナイテッドの2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献し、リーグ戦20試合の出場で6ゴールを記録。香川真司は個人的に3年連続のタイトル獲得となった。
2013-14シーズンはファーガソン監督の退任を受けて新指揮官となったモイーズ監督の下でプレーするも、プレシーズンの合流の遅れなどから開幕戦から出場機会に恵まれず、プロデビューした2007年以降初めてとなる年間0ゴールでシーズンを終える。
マンU:香川真司の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2013年 | 24歳 | マンU | 8億円 |
2014年 | 25歳 | マンU | 11億円 |
マンU:香川真司の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2012-13 | マンU | 20 | 6 |
2013-14 | マンU | 18 | 0 |
ドルトムント時代(第2期)の年俸と成績
マンチェスター・ユナイテッドのモイーズ監督が退任となり、ファン・ハール監督が新指揮官となった2014-15シーズンは事実上の戦力外通告を受け、開幕戦から出場機会は与えられなかった。
この状況で移籍を決断した香川真司は移籍期間終了直前の2014年8月31日に古巣ドルトムントに完全移籍。復帰戦ではいきなりゴールを決めてサポーターからも大歓迎を受けるなど活躍が期待されたがチームは低迷する。
後半戦は香川真司の調子も上がり始めて結果も残し、ヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献したが、28試合5ゴールとシーズンを通して期待に応える活躍はできなかった。
クロップ監督が退任となり、トゥヘル監督が新指揮官を務めて迎えた2015-16シーズンは、インサイドハーフとして起用される機会が増え、リーグ戦29試合9ゴール9アシストを記録。
ブンデスリーガ公式がツイッターでおこなった投票でトップ下部門1位を獲得し、年間ベストイレブンにも選出されている。
2016-17シーズンは21試合で1ゴールと結果を残すことができず、2017-18シーズンはピーター・ボス監督がシーズン途中で解任され、ペーター・シュテーガー監督が新指揮官になるなど不安定なチーム状況で、香川自身もリーグ戦19試合5ゴールと主力としての活躍はできなかった。
翌シーズンは新指揮官となったリュシアン・ファーヴル監督の構想外となり、試合出場は4試合で戦力外扱いとなった。
ドルトムント(第2期):香川真司の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2015年 | 26歳 | ドルトムント | 6億円 |
2016年 | 27歳 | ドルトムント | 6億5,000万円 |
2017年 | 28歳 | ドルトムント | 6億5,000万円 |
2018年 | 29歳 | ドルトムント | 6億5,000万円 |
ドルトムント(第2期):香川真司の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2014-15 | ドルトムント | 28 | 5 |
2015-16 | ドルトムント | 29 | 9 |
2016-17 | ドルトムント | 21 | 1 |
2017-18 | ドルトムント | 19 | 5 |
2018-19 | ドルトムント | 2 | 0 |
ベジクタシュ時代の年俸と成績
ドルトムントを事実上の戦力外となった香川真司はプレーする新天地をトルコに決断。半年間のレンタル移籍でベシクタシュに加入する。
デビュー戦で衝撃の2ゴールを決めるなど大きな話題となった。ベシクタシュでは3ヶ月間で548分間プレーし、4ゴール2アシストを記録している。
ベシクタシュ:香川真司の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2019年 | 30歳 | ベシクタシュ | 5億円 |
ベシクタシュ:香川真司の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2018-19 | ベシクタシュ | 14 | 4 |
香川真司のキャリア最高年俸はマンU時代
日本代表の10番として欧州でも長年活躍を続けている香川真司の年俸と成績を振り返ってきましたが、やはり最高額はマンチェスター・ユナイテッド時代で当時24歳の11億円でした。
ヨーロッパでも知名度の高い香川真司ともなると所属チームからの年俸以外にもCMやスポンサー契約料などの収入もプラスされると思います。
サッカーは世界的なスポーツなので、日本だけでなく海外でのCM起用や海外企業とのスポンサー契約もたくさんあるのではないでしょうか?
全てを総合した年間収入は分からないので、今回は所属チームの年俸に絞って調べてみました。