オーストラリアのメルボルンを退団し、2019年現在は所属クラブがなくフリーな状態となっている本田圭佑のこれまでのキャリアを振り返り、所属クラブ別で成績と年俸を調べてみました。
南アフリカW杯では日本代表の決勝トーナメント進出に貢献するなど、記録と記憶に残る活躍をみせ、日本のエースとして代表チームを引っ張る存在でした。
欧州での知名度を上げ、ACミランへの移籍を実現させるなどキャリアを積み上げましたが、気になるのはそれぞれのクラブでどのくらいの年俸を手にしていたのか?
日本、オランダ、ロシア、イタリア、オーストラリアで選手生活を送った本田圭佑の年俸推移をご覧ください。
目次
名古屋グランパス時代の年俸と成績
名古屋グランパスでプロ生活をスタートさせた本田圭佑は「海外からのオファーがあれば移籍を認める」という条項を盛り込んで契約している。
クラブ史上4人目となる高卒ルーキーでの開幕スタメンを勝ち取るなど2005年はリーグ戦31試合の出場で2ゴールを奪っている。
2006年はレギュラーの座を獲得すると主に左サイドでプレーし、リーグ戦29試合で6ゴールを記録。
2007年もリーグ戦30試合の出場で3ゴールという成績を残し、同年に海外挑戦のため名古屋グランパスを離れることとなる。
名古屋グランパス:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2005年 | 19歳 | 名古屋 | 450万円 |
2006年 | 20歳 | 名古屋 | 1,000万円 |
2007年 | 21歳 | 名古屋 | 1,800万円 |
名古屋グランパス:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2005 | 名古屋グランパス | 31 | 2 |
2006 | 名古屋グランパス | 29 | 6 |
2007 | 名古屋グランパス | 30 | 3 |
VVVフェンロ時代の年俸と成績
初の海外挑戦はオランダのVVVフェンロで2年半契約を交わし、背番号は29番に決定した。
1年目からレギュラーを確保し、リーグ戦14試合2ゴールを記録するも、チームは2部降格となり移籍初年度から厳しいシーズンとなった。
2008-09シーズンは背番号を10番に変更。キャプテンを任されるなどチームの信頼を勝ち取り、2部リーグ優勝の立役者となり、チームも1部復帰を決めた。
本田圭佑の成績はリーグ戦36試合で16ゴールを奪い、2部リーグの年間最優秀選手賞を獲得している。
1部昇格を果たした本田圭佑は2009-10シーズンも前半戦18試合のすべてにスタメン出場し、6ゴール7アシストを記録した。
VVVフェンロ:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2008年 | 22歳 | VVVフェンロ | 6,500万円 |
2009年 | 23歳 | VVVフェンロ | 6,500万円 |
VVVフェンロ:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2007-08 | VVVフェンロ | 14 | 2 |
2008-09 | VVVフェンロ | 36 | 16 |
2009-10 | VVVフェンロ | 18 | 6 |
CSKAモスクワ時代の年俸と成績
2010年1月1日に移籍金約12億円でロシアのCSKAモスクワに4年契約で完全移籍した本田圭佑はリーグ戦28試合で4ゴールを奪った。ボランチでの起用が多い中でもシーズンを通して活躍し、2シーズンぶりのロシアカップ優勝に大きく貢献した。
2011-12シーズンは右サイドでの起用が多く、得点に絡む機会が増えたことで、18試合7ゴールを記録する活躍を見せたが、右膝半月板の損傷で手術を受けた。復帰後も故障が再発し、チームもCL出場権を逃す結果となった。
2012-13シーズンはトップ下としてチームの攻撃を牽引。前半戦18試合で7ゴールを奪うも左足首の負傷で長期離脱を余儀なくされたが、約4ヶ月半で復帰。本田圭佑の成績はリーグ戦23試合で7ゴールとなった。チームはリーグ制覇と国内3冠を達成している。
翌年の2013-14シーズンもトップ下として前半戦18試合1ゴールを記録。CLはグループリーグで敗退となり、本田圭佑は2013年12月にCSKAモスクワを退団した。
CSKAモスクワ:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2010年 | 24歳 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2011年 | 25歳 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2012年 | 26歳 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2013年 | 27歳 | CSKAモスクワ | 3億円 |
CSKAモスクワ:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2010-11 | CSKAモスクワ | 28 | 4 |
2011-12 | CSKAモスクワ | 25 | 8 |
2012-13 | CSKAモスクワ | 23 | 7 |
2013-14 | CSKAモスクワ | 18 | 1 |
ACミラン時代の年俸と成績
2013年12月11日に3年半契約でイタリアのACミランに完全移籍。背番号は自ら希望した10番を着用することとなった。
ジェノア戦でリーグ戦初ゴールを決めるも左足首の捻挫でチームを離脱。約2週間で復帰するが、インテルに所属する長友佑都との日本人対決に注目が集まったがミラノダービーでミランの本田圭佑の出場はなかった。
入団会見から大きな期待を集めたが、移籍初年度はリーグ戦14試合に出場し、1ゴールの結果に終わった。
2014-15シーズンは開幕戦から右ウイングで起用されるとゴールを量産。11月23日に行われたミラノダービーではミランの本田圭佑とインテルの長友佑都が出場し、初の日本人対決が実現した。
シーズンを通してコンスタントに起用されるも前半戦での活躍が目立ち、後半戦はゴール数も少なく、リーグ戦29試合6ゴールの結果となった。
ミハイロヴィチ監督が就任した2015-16シーズンは右ウイングのポジションを奪われ、前半戦の出場機会は少なかった。シーズン後半戦になると出場機会を獲得しミラノダービーで決勝点をアシストするなどの活躍を見せたが、リーグ戦は30試合に出場して1ゴールに終わっている。
2016-17シーズンはモンテッラが監督に就任すると、若手選手を積極的に起用して本田圭佑は出場機会を失った。シーズン途中にプレミアリーグのハルシティから獲得オファーを受けるが残留を決断。
最終節のカリアリ戦ではミランでラストマッチとなった本田圭佑がキャプテンマークを巻いてフル出場している。
ACミラン:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2014年 | 28歳 | ACミラン | 7億7,000万円 |
2015年 | 29歳 | ACミラン | 7億7,000万円 |
2016年 | 30歳 | ACミラン | 7億7,000万円 |
ACミラン:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2013-14 | ACミラン | 14 | 1 |
2014-15 | ACミラン | 29 | 6 |
2015-16 | ACミラン | 30 | 1 |
2016-17 | ACミラン | 8 | 1 |
パチューカ時代の年俸と成績
2017年7月14日に本田圭佑はリーガMXのパチューカに完全移籍した。契約期間は1年で背番号は02番に決定。右ふくらはぎの肉離れでデビューは遅れたがベラクルス戦で移籍後初ゴールを決める。
FIFAクラブワールドカップにも出場するなどシーズンを通してチームの攻撃を牽引。リーグ戦29試合に出場し10ゴール7アシストを記録した。
パチューカ:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2017年 | 31歳 | パチューカ | 4億5,000万円 |
パチューカ:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2017-18 | パチューカ | 29 | 10 |
メルボルン・ビクトリー時代の年俸と成績
パチューカを退団した本田圭佑はプレー先をオーストラリアへと移す。2018年8月6日にメルボリン・ビクトリーへの移籍が発表された。
背番号は4番で年俸制限のないマーキープレイヤーとしての契約となった。
開幕戦ではキャプテンマークを巻き、メルボルン・シティとのダービーマッチで移籍後初ゴールを決めた。
シーズン途中に太もも裏の負傷でチームを離脱するも、約2ヶ月で復帰。ACLのグループリーグではサンフレッチェ広島戦で11年3ヶ月ぶりに日本での凱旋試合を行いゴールを奪った。
メルボリン・ビクトリーでの成績はリーグ戦18試合7ゴールを記録している。
メルボルン:本田圭佑の年俸推移
年 | 年齢 | 所属クラブ | 年俸 |
---|---|---|---|
2018年 | 32歳 | メルボルン | 3億2,000万円 |
メルボルン:本田圭佑の個人成績(リーグ戦)
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | ゴール数 |
---|---|---|---|
2018-19 | メルボルン | 18 | 7 |
本田圭佑の移籍金は?
6クラブでプレーした本田圭佑の移籍金は、VVVフェンロからCASKモスクワに移籍した際に発生したのみで、その他のクラブに移籍した時に移籍金は一切発生していません。
所属クラブが移籍金を釣り上げて獲得を検討しているチームが獲得を実現できないなど、サッカー選手の移籍にはタイミングやその時の状況などが大きく影響するので、0円移籍が悪いわけでもなんでもないですが、本田圭佑の知名度から考えると意外な結果でした。
所属クラブ | 移籍先クラブ | 移籍金 |
---|---|---|
名古屋グランパス | VVVフェンロ | 0円 |
VVVフェンロ | CASKモスクワ | 約12億円 |
CASKモスクワ | ACミラン | 0円 |
ACミラン | パチューカ | 0円 |
パチューカ | メルボルン | 0円 |
本田圭佑の年俸推移まとめ
日本代表のエースとしてヨーロッパでも長年活躍し続けた本田圭佑の年俸推移と成績を振り返ってきましたが、最高年俸はやはりビッグクラブのACミラン時代でした。
本田圭佑といえばサッカー以外にも実業家としての才能を発揮するなど、様々な分野に影響を与える人物です。
現在はサッカー選手として所属チームのないフリーな状態ですが、まだまだ現役で活躍している姿を見たいですね。